元ルノー、GMのカーデザイナーで、現ダッソー・システムズ、バイス・プレジデントのアン・アセンシオさんにインタビューしてきました!


“もしカーデザイナーを歌手に例えるなら、アン・アセンシオ氏はブリトニー・スピアーズの様な存在なのではないだろうか?”

2001年のフォーチュン誌の特集『人の世界のRising Stars』は、上記の出だしで始まった。アン・アセンシオ氏の特集が組まれ、彼女を次世代のグローバルリーダーとして位置づけたのだ

昨年10月の東京モーターショー開催期間中、カーデザインアカデミーは、アン・アセンシオ氏(以後、アンさんと呼ばせてもらいます。)にインタビューする機会に恵まれた。 

彼女をご存知無い方のために、ここで紹介させて頂こう。1987年から2000年まで、フランスのルノーに在籍し、カーデザイナーとしての実績をあげたアンさんは、2000年にGMからヘッドハントされ、2007年までデザイン・ディレクターを務めた。2007年以降は、世界最大の3Dソフトウェアのダッソー・システムズに引き抜かれ、デザイン・エクスペリエンス担当バイス・プレジデントとして活躍している。

業界全体で女性カーデザイナーは希少価値なのだが、その上に、この様な立派な経歴を持った女性カーデザイナーにインタビュー出来た事は、望外の貴重な機会であった。

このインタビューの中で、彼女自身のカーデザイナーとしての経歴、また、どうしてカーデザイナーを志望したのか、更に、フランスとアメリカ企業の違い、女性デザイナーへのアドバイス、仕事の上での男女間の違い、GMでの経験から、人種の多様性がどのように成功しているかなど、広範囲に語ってくれた。まさに、異文化社会学のような内容のインタビューだった。

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ちなみに、アンさんとカーデザインアカデミー監修を務める栗原典善は、長年の戦友のような間柄なのだ。このインタビューは、日本のDassault Systèmes 株式会社の田中氏と関係者各位の多大なる協力の下、同社の東京オフィスの会議室にて実現した。また、栗原とCDA校長の仲宗根も当日インタビューに参加した。

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アンさんと、カーデザインアカデミー監修の栗原氏

“ルノー在籍中『Scenic Concept Car』を手がける”

1987年から2000年まで、アンさんはルノーに在籍し、中型車部門のデザイン・ディレクターを務めた。彼女が手がけたデザインの代表作の一つといえるのが、多くの量産モデルの起点となった『セニック・コンセプト』である。数多くのデザイナーが「メガーヌの外観を備えたデザイン」について提案し、そしてセニックはメガーヌの5車種のバリエーションとして誕生した。開発途中、彼女の夫である、ジェラルド・アセンシオ氏がデザインプログラムの担当に就いた。

ルノーを代表する小型前輪駆動(FF)車メガーヌのMPV仕様であり、同カテゴリーのフランス国内およびヨーロッパ市場におけるベストセラーモデルである。その基本コンセプトは1991年に当時ルノーに在籍していたAnne Asensioがデザインした「セニック・コンセプト」が原型と言える。(Wikipediaより引用)

“2000年に、GMからヘッドハントされ、7年後にはDassault Systèmes へ引き抜かれることに”

アンさんは、GMではブランド・キャラクター・デザインを担当した後、インテリアデザイン・エグゼクティブ・ディレクターに就任し、2007年GMを去る時にはアドバンスド・デザイン・エグゼクティブ・デザイナーまでに昇進していた。Camaroのコンセプトカー、Hammer H3T、Chevy Voltなど、数多くのデザインをGMにて手がけた。

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NAIAS2006、カマロのプレゼンテーションにて。

2007年、彼女はDassault Systèmesのデザイン・エクスペリエンス部門統括として、ヘッドハントされる。

正直に言うと、事前に彼女の経歴を確認した時は、アグレッシブで超敏腕なビジネスウーマンを筆者は想像していた。しかし目の前に現れたのは、優雅なブロンドのショートヘアで、ダークブルーのスーツを品良く素敵に着こなすパリジェンヌ(インタビュー中に判明するのだが、彼女は北欧系の家系)だった。彼女の穏やかで、ユーモアに満ちた人柄は、実に魅力的でチャーミングだった。ここからは、彼女の言葉で書き記していこうと思う。

“デザイナーは世界を変えられる!非凡でありながらも、調和のあるデザインを、ぎりぎりまで、追いもとめるのだ。“

まず初めに、私のデザイナーとしてのモチベーションからご説明しましょう。私が、ダッソー・システムズで働くに至ったのは、常に一貫したデザインという仕事についての考えを持っていたからです。私たちデザイナーは、世界を変える事ができます。なぜなら、世界を、全く違った見方で捉えているからです。私たちは、非凡さと調和を追求し続けています。デザイナーは世界を一体として、見ています。そして、それが、クルマのデザインになると、全体的な観点からデザインするのです。

男の子は車やバイクが好きだから、車の絵をよく描きますよね。今日では、それがビデオゲームなのでしょうね。だから、今の子はみんな将来3Dアーティストになりたいと答えます。しかし、私は、そのような動機で、カーデザイナーの道を選んだわけではありません。私の考え方は違いました。自分の能力があるとすれば、それを活かすような仕事をしてみたかったのです。自分にできることというのは、観察することだったり、スケッチをすることだったり、成型したり、素材に触れたり、光のあて方を考えたりすることだったのです。なぜ当時そんなに変えたいと思っていたのかは自分でもよく分かりません。デザイナーが前進するためのエンジンというのは、いつも私たちの暮らしがより便利になるようにしたいという欲求からです。それが、まさに私の考え方なのです。

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学生だった頃に、カーデザイナーという職種に出会うことができました。カーデザインの仕事とは、テクノロジーと才能が交差する場所だと私には感じられました。そして、能力のあるデザイナーやスケッチャーは、みんな自動車企業へと就職していきました。最高水準の科学技術を身につけたものだけが、自動車企業で働くことが許されたのです。

私にとって、クルマというのは、人間が創り出したもっとも複雑な製品です。飛行機だとは思いません。なぜなら、飛行機は個人ではなく、企業に売るでしょう。しかし、クルマのデザインは、鉄、プラスチック、革などの素材を組み合わせ、共同作業を経て、一人の個人を喜ばす為に作っているのです。一人の人を喜ばせるために、最高水準の才能と莫大な時間が費やされています。

技術と人間の行動が交差する中で、複雑さと最適性の狭間でデザインをすることは、クルマのデザインが最も複雑だと思いました。だからこそ、私はあえてカーデザイナーの道を進むことに決めたのです。

5歳か6歳のころは、一日中絵を描いて遊んでいました。絵ばかり描いていたので、母親が私のペンを取り上げようとすると、私は怒りました。それほど大好きでした。ペンを取り上げられないように、家の隅で隠れて絵を描いていたほどです。そして、一日中絵を描ける仕事は何かと、母親に尋ねると、建築家だと教えてくれました。

初めてのインターンシップは、フランスの西海岸にある、フランスの車体メーカーHeuliezでした。そこでカーデザインの虜になりました。その時点で、建築については見切りをつけました。もう建築家ではなく、カーデザイナーになりたかったのです。それに女性の建築家はたくさんいましたが、カーデザインでは女性はいませんでした。

1999年、パトリック・ル・ケマン氏が、ルノーTwingoに代わるクルマの開発を始めるため、コンペが行われることになりました。私はデザインを考えるにあたり、まずはプロジェクト開発チームやエンジニアのもとへ向かい、人々のソーシャルスタイルと暮らしの発展を取り込むことから始めました。そして、それぞれの暮らしや生活を想定して様々なデザインを考え、「この人々にはこのTwingoを・・・」といった具合に、デザイン・スタジオの部屋の壁がいっぱいになるぐらいたくさんの図面を用意して、プレゼンしました。他のデザイナーたちは、一つのコンセプトのスタイリングスケッチだけでしたが。 

「アン、君はいつもスケッチしていたよね。その印象が強いな」と、栗原は当時の印象を語った。その当時、栗原は自身の設立したデザイン・スタジオのDCIで、ルノーのディレクターだったル・ケマン氏からの仕事をしていた。当時つねに真剣に描くアンさんの姿をよく見かけたという。

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College for Creative Studiesを卒業後、1987年アンさんはルノーに入社した。2000年にルノー退社時には、ClioやTwingoなどの中型車部門のデザイン・ディレクターに就任していた。「私は、伝統的なデザイナーではありませんでした。自分の行動の動機を常に考えていたのです。だからこそ、35歳でディレクターになれたのだと思います。」と彼女は当時を語る。

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Megane IIのデザイン・チーム

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Renault Twingo(2000モデル)

“GMでの仕事は、インテリアデザインにおける全プロセスを一から見直すことだった“

たくさんの情報が集まり、より多くの素材を取り扱い、より挑戦しがいがあり、より複雑さが増した状況に直面すると、仕事は、どんどん面白くなりました。GMでは、ブランド経験、ブランドデザインとそのブランドの特徴を探求するような仕事をしたいと思っていました。

その頃のGMはインテリアデザインに関し、独創性という点で行き詰まっており、そのクオリティにも問題を抱えていました。GMの経営陣は、インテリアデザイン全てのプロセス自体を変えてほしいと私に要望しました。私がGMでやりたかったことはただ一つ。デザインをデリバーする方法を改革したかったのです。それは、自分自身でもやったことがなかったことなのです。

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2004年6月、『アイズ・オン・デザイン』でキャデラック・シックスティーンのプレゼンをするアン・アセンシオ氏

私は、ディテールやクオリティがしっかりと正しい方法でできているかどうかにとてもこだわりました。こういうところが、私が女性であると自覚せざるを得ません。ほとんどの男性デザイナーは、ハイライトのあたるエクステリアにしか興味がなく、インテリアには目もくれませんでした。私は、インテリアデザインのプロセスで、オペレーションの根深いところを検証し、作業行程全般を見直しました。もちろん、周りとの衝突も避けられませんでした。難しい課題でした。しかし、私は結果を出したかったのです。そして、なんとかやり遂げることができました。この様な、デザイナーとしての仕事を超えた、目には見えない大変な作業を行程の中に取り込むことを通して、いかに作業の行程が重要であるかも分かりました。

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ハマーH3Tのデザインレビューをしている姿アンさん

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カマロのインテリアデザインのレビューの模様(クリストス・ロステミス氏とアン・アセンシオ氏)

当時、競争が激化する自動車市場の中でのGMの価値を高めるために、膨大なリサーチが行われていました。アメリカの最も優秀な人たちと一緒に、その打開策を見いだすことができたのです。しかし、同時にデザイナーに出来ることには限界があると痛感していました。デザイナーが既存の枠組みにとらわれずに自由に考えることには、限界があると直感的に感じたのです。

““バーチャル・ユニバースで未来をプロトタイピングする戦略を立てる。それは、Dassault Systèmesだからできること“

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2012年パリで開かれたFestival Automobileの、クリエイティブ・エクスペリエンスDSアワードのプレゼンテーションにて。(アン・アセンシオ氏とDassault Systèmes 現CEOのベルナール・シャーレス氏)

GMに在籍していたころ、ダッソー・システムズ 現CEOのベルナール・シャーレスに出会い、パリにあるラボを案内してもらいました。ラボを訪れると、カーデザインを始めた頃の熱い思いが蘇りました。素晴らしいテクノロジーが集結し、新しい可能性を秘めて待ち受けていたからです。ダッソー・システムズは、3Dエクスペリエンス・プラットフォームを通じて、企業や個人にバーチャル・ユニバースを提供しています。これは、提供している製品・サービスのほんの一部にすぎません。

私はダッソー・システムズというところは、デザイナーたちの考えやデザインを可能にできる場所だと思っています。サイトを訪れれば、私たちの解決法と3D エクスペリエンスのプラットフォームが、デザイナーの心の持ち方を支えることができるかがお分かりになると思います。あなたのデザインと革新的なアイデアと、コラボレーションが促進されているダッソー・システムズの環境と、3D技術やバーチャル・ユニバースを活用して、未来をプロトタイピングできます。

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“OAKレーシング・プロジェクト”のライブレビュー風景(Dassault Systèmes VRルームにて)。OAKレーシング、オーナーのジャック氏とシルヴィー・ニコレ氏、代表取締役F.コスタ氏、アン・アセンシオ氏

ショーカーやコンセプトカーなどは、デザインを経てヴィジョンとなります。それは、製品のヴィジョンです。しかし、今日、世界の非物質化が進む中で、デザイナーは商品やサービスだけを提供するのではなく、顧客の情緒や感性に触れる経験を、ヴィジョンとして提供していかなければならないと考えています。デザイナーの仕事というのは、デザインの経験だけから造られる製品を提供するだけではなく、全ての面において、製品がサービスや環境、人間社会に関わってくるのかを考えて創造したものを提供しなければならないのだと思います。経験の領域に関わることを、バーチャル・ユニバースでデザインすることが可能なのです。バーチャル・ユニバースは未来のシナリオを描いたり、味わったりすることができる最高の場所なのです。 

例えば、グランツーリズモは良い例ですね。グランツーリズモ自体は製品でもなく、カーデザインブランドでもありません。プロトタイピングされた未来のシナリオです。今日では、ゲームという進化した製品の中で、それはレーシングカーとして、高い評価を得ています。

今ここで未来を想像してみて下さい。モビリティに富んだ素晴らしい未来を。私は、バーチャル・ユニバースとは、体験することを、『考え』、『組み立て』、そして『テストする』空間だと思っています。私の現在の担当部署は「デザイン・エクスペリエンス」です。製品をデザインするのではなく、デザインの持つ可能性と革新性で豊かなか暮らしを創り、それらの活動を支えることを意味しています。ここダッソー・システムズでは、最も複雑な問題をどうやって解決していくのかを、多くの才能をもった仲間と共に突き止めることができます。そして、この新しいサービスをクライアントやパートナーの皆様にお届けしています。

デザインの世界は急速に進化しています。今日カーデザインの複雑さは、急速に変化しています。しかしながら、デザイナーの姿勢と行動の領域についての考え方は、リーダーたちの心の内では変わっていませんし、デザイナー自体も変わっていません。

カーデザインの従来の方法は、彫刻のようなものです。未だに、あるデザイナーは、「俺のデザイン」という言い方をしますが、600人もの人間がプロジェクトに関わっているのは周知の事実です。私の考えでは、カーデザイナーは、過去には芸術家のようなものでした。複雑さが増した結果、一個人の意見やデザインを押し通すのではなく、若手デザイナーは、現在は、チームの一員として働かなければなりません。

山の様にそびえるデジタル社会が到来する中、デザイナーは、これから先、彼らの能力を提示する方法の変化が起こってくるでしょう。

“フランスとアメリカの働き方の違い”

まず困難なことに挑むとき、ヨーロッパではその現状を家庭のように捉えますが、カーデザインの現場になると、特にフランスでは、決して国際的な優越性を持ちません。会社が小さいので、一番効果的な戦略をじっくり立てなければならないのです。その課程で、革新的なことや、不確実なことに、より少ない抵抗で、上手に付き合っていきます。

そういった戦略は、チームワークよく、効率よく働くためには欠かすことができません。ルノーで働いていた頃、全員が共同作業をする素晴らしい環境がありました。今日でも、同企業はとてもオープンで、他の部門の意見をよく取り入れます。ルノーとは別会社のノリさん(栗原)が、日本からデザイン提案を持ってきた時も、新しいアイデアにとてもオープンでした。そして「会社が私たちを信用していない」などと思ったことはありませんでした。

一方、GMは違いました。アメリカでは、リーダーに従っていきます。リーダーが野心的であれば、人々は疑問を持たずに一緒に仕事をするでしょう。フランスでは、人々は批評的で自分の思った意見を言い合います。常に違った角度からの質問をぶつけてきます。フランスでは、アフォーダンスを創出し、物事の意味に周囲の支持を得なければなりません。アイデアをテーブルの上に提示したら、話し合いを重ね、じっくり新しい価値を創造していきます。その過程は、創造的で濃度の高いものです。

アメリカでは、アイデアと共に走っていきます。しかし、翌日になると、また新しいアイデアが出てきて、その新しいアイデアに、さほど困惑せずに取り組むことになります。提案の適正さを検討するよりも、新しいものへの貪欲さが優るために、アメリカではマーケティングというものが容易に進化します。しかし、これも変化しつつあります。

フランスでは、伝統や文化的な遺産を重んじています。日本では、伝統よりも更に、社会性や倫理感、継続性が重んじられているように感じます。東洋に行くほど、戦略がある、ということがより重要になります。そうすることによって、より継続するからです。

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2006年VOLTのコンセプトチーム全体での一枚。

共同作業をする中でリーダーシップを発揮することはますます重要になってきています。チームが同じ方向に足並みを揃えて進むためには、やる気を起こさせる、バイタリティのあるタフなリーダーが求められます。みんなのお手本になり、威圧的にではなくて、尊敬されることが、リーダーシップを測るために大切です。リーダーがチームにやる気を出させるのです。そして、質の高い結果を出すためには、コラボレーションが核になってきています。

ダッソー・システムズでは、日々難題に取り組むため、コラボレーションが不可欠です。私たちは、革新的で精巧なコラボレーション・ツールを所有しています。そして、お客様とデザインの企画を始める時は、いつもチーム全員が一丸となってバーチャル・コミュニティを提供しています。私たちは、ただメールを送る代わりに、画像、動画、スケッチや、やる気を起こさせる要素を共有しながら、革新的なものを採用する用意ができる共通のゴールを既に創出しています。多岐に渡る産業に製品やサービスを提供してきた経験から、豊富なアイデアに溢れています。そして、正しいツールとは、プロセスとは、ソリューションとは何なのかを、全員が自覚しています。

例えば、2014年ダッソー・システムズはアクセルリス(現在はダッソー・システムズのBIOVIAブランド)というライフサイエンスの企業を買収しました。この会社は、ナノテクノロジーのチューブデザインによるソリューションを可能にした企業です。この買収は、デザイナーにとって素晴らしい領域を獲たことを意味します。

仮に、バイオの模写になってしまったとしても、何らかの影響を受けることは、デザイナーにとってとても興味深いことです。

もしみなさんご興味がありましたら、ダッソー・システムズのYouTube『BIOVIA』をご覧になってみて下さい。どのようにライフサイエンスのデザインが世界を変えるのかお分かり頂けると思います。

 Dassault Systèmesデザインチームのコラボレーションの様子

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デザインの世界で、特にカーデザインの分野で女性がキャリアを積むための、アドバイスを頂けますか?”

(筆者は、この様な質問を聞くことに抵抗があった。というのも、きっとこんな質問には飽きるほど答えてきているだろうからだ。しかし、彼女の返答にはとても興味があった。女性カーデザイナー自体が希少な上に、GMでデザイン・ディレクターを務めるほどのキャリアの持ち主だ。彼女の意見は全ての女性カーデザイナーにとって、いや全てのデザイナーにとても、重要になると確信している。) 

仕事の性質上、女性であるということは、さして困難なことはありません。デザインや開発に、性別は関係ありません。私に共感をしてくれる女性はいるでしょう。もし、これが理解できるなら、きっとあなたは上手くやっていけます。現在では、男性と仕事をし、その人たちと競い合うような職場にいることは、女性だからといって難しくありません。21世紀にそんな風に考えるのは馬鹿げた話しです。

きっと、女性自身が、女性だからという固定観念で考えてしまうから問題なのでしょうね。男性に限らず女性でさえ、女性の可能性を低く見ていることにとても憤りを感じます。カーデザインだけでなく、科学やテクノロジーの世界においても同様です。そして、そんな考えが正しいと人々は信じています。これは教育の中で問い正さなければいけないことでしょう。

女性だから、そして西欧人であるから、そしてデザイナーだから、私は、普通の女性より苦労しなかったと思います。

女性であることに問題はありません。けれど確かに男性との違いはありますよね。だって、社会は男性が作った価値から出来ていますから。そうした男社会の中では、女性としてのアイデアを通そうとするとき、それについて、常に翻訳が必要となります。男性社会のルールに合わせる変更です。なぜなら、そのルールは男性が作ったものですから。貴方は、完全には、貴方自身でいられないのです。絶対にありません。このことこそが、私が最も歯がゆく苛立たしいことなのです。デザイナーである私は、人間としてどんな時も自分は自分でありたいと思います。女性であるよりも。そして、その人間というのが、たまたま女性であるということです。

フランスのドーヴィルで開催された、世界女性フォーラムに参加したことがあります。殆んど女性だけの参加です。世界で活躍する、選りすぐりの女性たちが集まりました。私は会場に入った時に、心地よさに気づきました。人の目を気にする必要もなく、自分らしくいられたからです。「これって、いい気分ね!」と思いました。きっと、この感覚は男性がいつも感じていることなのもしれません。女性は自分がどう見られているか、他人の目が気になります。それって、とても疲れるものですよ。おそらく男性には分からない感覚ですよね。世は男社会で出来ていますから、気づかないかもしれませんね。そう思うと、女性が作った世界はどんなだろう?男性の代わりに女性が中心の世界だったら、男性が女性との違いを感じていたら?世界はもっと違っていたのでしょうか?こんなことをふと考えました。

“自分を抑えるのをやめて、自分らしく生きなさい!”

ルノーに在籍していた頃、パトリック・ル・ケマン氏が35歳の私 をデザイン部長に昇進させました。そして、ルノーの主力の中・小型車の開発を命じました。その主要なデザインの責任を、まだ “ひよっこ”の女性に、任せたのですよ。私はなんてラッキーな女の子だったのでしょう。彼は、私を信頼してくれました。私だったらできる、と確信させてくれました。

女性がしばしば成功するのは、男性がチャンスをくれるからです。GMのデザイン部門の副社長の、ウェイン・チェリーは、エグゼクティブ・ディレクターとして私を採用し、いつも私に力を貸してくれました。私の世代では、男性が女性を役職につかしてくれるのです。誰ひとり援護してくれる女性の役職者は、周りにはいませんでした。今は私がみんなを助ける立場にいます。女性社員が、時に私に相談してくる時には、「自分を抑えないこと」「あなたらしく」「自分が見られていると気にしすぎないように」とアドバイスしています。

“カマロ開発プロジェクト=人種多様化の成功=プロフェッショナル“

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GMに在籍していたころ手がけたカマロのプロジェクトは、完璧なコラボレーションの一例です。そのプロジェクトには、韓国人デザイナーでエクステリア担当のサンヤップ・リー、インテリア担当の若手フランス人デザイナーのジュリアン・モントーゼ、プロジェクトの監修を務めたアメリカ人のトム・ピーター、たちが参加しました。このクルマの開発は、非常にスムーズにいきました。デザインがどのように作用するのかが、分かる良い例です。なぜアメリカ人がアメリカのクルマを作る必要があるのでしょう?必ずしもアメリカ人である必要はありません。私の記憶だと、アメリカ人デザイナーたちがルノーの傑作とも言える数々のクルマを世に送り出しました。そういえばノリさんもルノーで、フランスのクルマの仕事をしていましたよね?(笑)

これは、結局のところはプロ意識の問題です。

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仕事風景

“なぜ?” “なぜ?”“なぜ?デザインするということは、なぜを追求すること。“

デザインとは、貴方のお腹の中から出てくるものなので、とても難しいことなのだと思います。そして、スケッチを極めて、練習し続けることも忘れてはなりません。この事については、今日は話しませんでしたが、これらは暗黙の了解で、見えないところで、常に存在しています。とても大変です。膨大な量の情報を計算して組み合わせ、多様な高度なレベルまで持っていかなければなりません。科学者は予想外のことはあらかじめ全て排除して仮説を立てた上で、実験でその予想を確かめます。しかし、デザイナーはその様に予想外のことを排除することができません。全ての案を計算してみて、その中から最善の企画を出します。そこにはたくさんの繊細な作業が要求されます。

多くの人が、女性向きのクルマはピンク色のクルマだと思っていますが、しかし、これはデザイナー以外から出る典型的な答えです。デザイナーは、女性向きのクルマはピンクではないことをわかっています。女性がクルマで経験する複雑なことを全て包含するようなクルマこそ、女性向きといえます。それが、私たちがカマロのプロジェクトで実現したことです。

カマロの1968年からつづく経験を、全て明らかにしなければなりませんでした。カマロの長く続く伝統の中に自分を出現させなければなりませんでした。そのクルマの持つ可能性や夢を想像して、それを組み込まなければならないのです。

様々な分野から様々な経験を持つ人間が集まっているチームは、クルマの本質を考える時、各々違った見解や意見を出し合うのでとても効果的です。カマロの本質とは?カマロはアメリカの筋肉質を代表するクルマです。そう、フランス人の私は、「Why?」「Why?」「Why?」と質問をしまくりました。デザインとは、まさに、なぜを追求することです。

“編集後記”

当日このインタビューに1時間半以上もの時間を割いて下さり、その後数か月に渡り記事の編集にご協力頂いたアン・アセンシオ氏に、改めて大変感謝したい。振り返ってみると、今更ながら、彼女の言動が、いかに一貫性があるのかを痛感した—-「貴方らしく生きなさい」が、彼女の強いメッセージだ。性別、人種、国籍などは関係ない。彼女は、彼女のしていること、してきたことに自信と誇りを持っている。スケッチ、デザイン、物事の新しい活路、を見出すことが大好きな女性だ。そう、デザイン・エクスペリエンス。

インタビューの最後にアンさんはこう言った。「もしデザイナーが、お金や家族といったデザイン以外の理由で会社に留まっているのなら、それはデザイナーにとっては良くないことです。お金のためだけにデザイナーをしているなんて、そんなデザイナーは最低のデザイナーよ。」「貴方は、貴方自身でなければいけない。」

彼女のアドバイス、『貴方らしく生きなさい』は女性だけでなく、まさに男性にも当てはまる。それこそが、人生を楽しむということではないだろうか。

最後になって申し訳ないが、今回のこの企画を実現するにあたって協力を頂いたDassault Systèmes FranceのMs. Fanny Cabanneさん、Dassault Systèmes日本支社の田中さん、Duttaさん、佐藤さんには、カーデザインアカデミー一同、心から感謝したい。

2012年のプラハで開催されたDassault Systèmesのフォーラムでのアン・アセンシオ氏をご覧になりたい方は、こちらの動画よりご覧頂けます。

2012年10月19日金曜日早朝、女性カーデザイナーの第一人者である、アン・アセンシオ氏と『デザイン・エクスペリエンス-独創性と創造力におけるアプローチの仕方』についての対談が行われました。▼その模様はこちら

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