【インタビュー】現役のカーデザイナーに会ってきた!ー元ベルトーネ・トゥーリオさんの場合ー


NORI, inc.にイタリアからTullio Luigi Ghisio(以下、トゥーリオ)氏が、おみえになりました。トゥーリオ氏は過去に、栗原が箱根に創業し、主にクルマのデザインを手掛けていたDCI(デザインクラブインターナショナル)で2年間程働いており、イタルデザイン、ベルトーネでデザインマネージャーを務めるなど、世界を股にかけて活躍するデザイナーです。

 

 

DCI=箱根を本拠地としていた独立系カーデザイン会社。当時、ヨーロッパフォードで働いていた栗原典善氏(現NORI, inc.会長)と、畑山一郎氏(Tokyo Design International代表)らを中心として86年に5名のスタッフでスタート。わずか5年足らずで日本の独立系カーデザイン会社としては最大級の規模となる。デザイナーやモデラーの多くは日本メーカーの海外スタジオや外資系企業の経験者で、アウディやBMW、イタルデザインなどを経てDCI入りしていた。手がけたデザインにクレジットが入ることを良しとせず、クライアントへの貢献内容は一切公表していない。

 

NORI, inc.=副社長を勤めたDCIを退任した栗原典善が2001年に小田原に設立したカーデザイン会社。デザインだけでなく、コンセプトメイキングなどの企画や、ヴァーチャルモデルやショーカー等のモックアップ製作など国内外のカーデザインプロジェクトを数多く手掛けている。また、これまで培ったデザインノウハウを次世代に伝えるため、2013年8月より現代表を務める仲宗根悠と共同でCar Design Academyを発足。開校1年目で、自動車メーカー内定2名と、自動車メーカーのデザイン新人研修に導入されるなどの実績を残す。2014年中には、Car Design Academyの海外版リリースも予定している。

 

ベルトーネ=イタリア・トリノを本拠地とする自動車関連企業。1912年にカロッツェリアとして創業し、自動車のデザインや試作を行うカロッツェリア・ベルトーネ(Carrozzeria Bertone)と、鉄道車両の設計や建築など自動車以外の部門に会社が分かれた。ボディ制作部門のカロッツェリア・ベルトーネは多額の負債を抱えて2008年に事実上倒産、カロッツェリア・ベルトーネ以外の部門を統合し、ベルトーネ・デザイン(Bertone Design)として再出発し、車のデザインを含めたクルマ全体の設計活動を進めていたが、2014年3月、裁判所への破産申請が報じられた。ベルトーネのホームページはこちら

 

現役のカーデザイナーに会ってきた!ー元ベルトーネ・トゥーリオさんの場合ー

Tullio Luigi Ghisio

Tullio Luigi Ghisio(トゥーリオ)=1967年トリノに生まれる。1986年にIAAD(工業デザインの専門学校)に入学。 在学中の1989年、ジウジアーロ率いるイタルデザインに入社。6年間の間、様々なプロジェクトを手掛ける。1995年9月、栗原典善が副社長を務めるデザインクラブインターナショナルに入社。その後、イタルデザインに戻りシニアデザイナーとして活躍。FIAT、JAC、ベルトーネ、I.D.E.A. Instituteと渡り歩き、デザインコーディネーターとしてStile Bertone S.p.A.で活躍。現在は、フリーのデザイナーとして独立し、世界中を忙しく飛び回っている。

 

カーデザイナーを目指すきっかけについてお聞かせください。

芸術やデザイン関係の親族が多かったということもあり、小さい頃からクルマと絵を描くことが大好きでした。

 

わたしの叔父がエンジニアだったのですが、趣味で60〜80年のセガンティーニ風の絵を描いており、本業のエンジニアよりも絵の方で有名になってしまいました。

また、叔母は教会のフラスコ画を修復する仕事をしており、イタリアで一番古い美術学校で教えていました。

そういったおかげで、小さい頃からデザインや芸術は日常の中で身近なものでした。

ガンディーニや、ジウジアーロみたいになりたいと思ったので、14歳でカーデザイナーになることを決めました。

フォードが買収したカロッツェリア・ギアのアメリカの一風変わったデザインに刺激を受けました。

 

カロッツェリア・ギア=有名なイタリアの自動車ボディーデザインスタジオ(カロッツェリア)、コーチビルダーの一つ。ギア社はジアッキント・ギア(Giacinto Ghia)とガリーリオ(Gariglio)の二人により、カロッツェリア・ギア&ガリーリオ(Carrozzeria Ghia & Gariglio)としてトリノのヴァレンティノ通りコルソ4番地に設立された。1965年にはルイジ・セグレの後任としてジョルジェット・ジウジアーロが入社しており、宮川秀之氏とイタルデザインを設立するまでチーフスタイリストとして活躍した。1968年にデ・トマソ社の傘下に入ったのち、1970年、株はフォード社に売却された。現在もギア・スタジオはフォード社の看板で様々なコンセプトカーを製作している。

 

カーデザイナーには、どうすればなれるのかご存知だったのでしょうか。

父親がエンジニアのスクールに行っていたので、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートとアートセンターとIAADは知っていました。

 

どちらも授業料がとても高かったのですが、それがどうしてIAADを選んで入学することになったかというと、講師はFIATなどのメーカーや、ピニンファリーナ、イタルデザインなど有名カロッツェリアで働く15年くらいキャリアを積んだ現役のデザイナーが多く、当時カーデザインの世界で有名なクリス・バングルなど、プロフェッショナルなデザイナーが教えに来ていました。

 

 

また、当時IAADは学生が5、6人しかいなかったので、その分いっぱい教えてもらえると思い決めました。

 

IAADはトリノにあるので、住んでいるところから近かったのも理由の一つです。

ロイヤル・カレッジ・オブ・アートはイギリスですが、アートセンターはアメリカで、とても遠いのでそこに通うとなれば高い授業料だけでなく、家賃や生活費もかかってきてしまいます。

 

私の時代にもCar Design Academyがあれば良かったのにと思います。どこからでも学べる上、受講料が安いです。

なにより栗原さんから教えてもらえる機会もあるのでしょう。完璧です。

 

 

IAADではレンダリングの初回の授業が印象的でした。

フィアットのデザイナーが教えに来てくれたのですが、このようにキャンソンペーパー(プロフィール写真左下)にレンダリングをするのです。

 

私はそのテクニックにとても驚きました。そしてそのFIATのデザイナーは、全てのテクニックを教えてくれました。

最近はデジタルツールを使ったスケッチしかなくなってしまったので、こういうスケッチには一味違う手描きの良さがあると、特に思います。

 

イタルデザインにはその歴史の中で培った、他のカロッツェリアにはないハイライトレンダリングのテクニックがとても沢山あったので、入社して驚きました。

 

カーデザイナーを目指す人は、スケッチが上達するコツとして、とにかく早く描くことを心がけたほうが良いと思います。

とにかく早く描いて、他の人に見せて伝わるか、それが重要だと思います。

お父さんやお母さんでもいいので、スピーディーに描いたものを見せて伝わるかどうかやってみてください。

 

そしてレンダリングはスケッチとは違います。

レンダリングは会社が要求するものです。

多くの会社でデザイナーを経験してきたからこそ分かるのですが、会社によって求めるものは様々です。

最初のスケッチは会社の色がつかなくてもいいですが、レンダリングは会社が要求するレベルを満たすものを仕上げられるように、テクニックを学ばなければいけません。

 

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-イタルデザインで働くことになったきっかけをお聞かせください。

私が学生の頃に、IAADにジウジアーロがスケッチを見に来ました。

それをみて、イタルデザインに来いと言われたので、学生の分際でイタルデザインに働きに行くことになりました。

 

自ら言いますが、学校では常にトップの成績でしたので。

 

当時は17時までイタルデザインで働き、19〜23時は学校に行くという生活でした。

イタルで働くのが夢だったので、大変という感情はなくとても充実していました。

イタルデザイン時代の5年間はとても勉強になったと思います。

 

その後、栗原さんの友人でトリノの有名なモデラー・バイオさんに紹介され、栗原さんと知り合うことができました。わざわざイタリアまで会いに来てくれて、面接してくれたのです。

 

話を聞いているうちに日本に行けるチャンスが来たと、とてもエキサイティングに感じました。

 

当時の日本、特にDCIはとても輝いていました。

そして、皆スケッチがうまくてとても驚きました。

壁中がスケッチで埋め尽くされていましたので、皆かなりの量を描いていることがすぐに分かりました。

イタルデザインから来てそう思うということは、当時のDCIのスケッチレベルは世界最高峰だったと思うぐらいです。

 

そして色々なことを吸収することができました。

わたしはテープドローイングが得意だったので、それを教える代わりに絵がうまいデザイナーから教えてもらうという風にしていました。

お互い学び合っていました。

 

DCIではボーリングをしたり、みんなで遊んだりしたことも良い思い出です。

そういえば、DCIに来てすぐ栗原さんが、イタリアンレストランで歓迎会をしてくれたことがありました。

それが終わり、同僚だった他のイタリア人デザイナー・ジャンルーカと会社のクルマだったユーノスのオープンカーに乗って帰ったのですが、突然、後ろから追突されてしまいました。

 

とても大きな事故でした。私はユーノスのオープンカーから救急車に乗りかえる事になってしまいました。

日本語が分からなかったので、すぐに栗原さんに連絡すると飛んできてくれました。

 

救急車に同乗してもらい病院まで行ってもらって…私の歓迎会だったのにとても大変でした。

 

今では良い思い出ですが、日本で交通事故まで経験してしまいました。

 

 

DCIでは、日本のことを吸収できてすごく役に立ったと感じています。

思い出はいっぱいありますが、ひとつだけ残念なことは仕事をした期間が短かったことです。

 

私は1年半でイタルデザインに戻ることになり、7年4ヶ月働いた後に、FIATで半年間働き、中国の自動車メーカーであるJACのトリノスタジオで4年弱デザインをしました。

 

その後、ベルトーネで3年、I.D.E.Aで1年働き、またベルトーネに戻ることになりました。

ニュースにもなったので皆知っていると思いますが、昨年末、ベルトーネは経営が行き詰まり、倒産してしまったのですが、わたしはそのベルトーネの最後までいました。

 

インハウスでデザインすることと、デザイン会社としてデザインをすることは異なる部分が多いです。

よりお金や時間に気を配りながら、色んなクライアントと仕事をするのがデザイン会社だと私は考えているのですが、ベルトーネはそこがうまく出来なくなってしまっていました。

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ベルトーネという一つの時代が終わってしまったことは、そこに所属していた自分としてもとても残念ですが、わたし自身は変わりません。

 

5年後も10年後も、何十年経っても、わたしは夢を持ち続け、止まることはないと思いますし、そこが重要だと思います。

 

今カーデザイナーを目指している人に伝えたいことは、常にどんなことからでも学ぼうとする姿勢が大事だということ。

 

学校なんて短いです。分かることはとても少ないです。

 

わたしはイタルデザインやDCI、ベルトーネなどの環境で、多くのデザイナーと会い、マネージャーになった今でも学ぶことはいっぱいあると考えています。

 

わたしは約16年間、夏になるとカトリック教会に彫刻の手伝いに行っていました。

そこからも多くのことを、学ぶためです。

 

常に自分の気持ちをオープンにして、吸収するのだ、という学ぶ姿勢を持ち続けて下さい。

そうやって成長するシステムを自分で作り出すのです。

 

クルマのデザインは全てにおいて先進的です。

軍事系の武器にも最新のテクノロジーが詰め込まれていますが、そのテクノロジーやデザインは飛行機やクルマにもつながっています。

 

カーデザイナーという仕事の魅力はそこにあると私は思っています。

 

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