タタ自動車のデザイントップに会ってきた グローバルデザイン部門統括本部長プラタープ・ボーズ氏


こんにちは!カーデザインアカデミーの橋本です。

今回は、インドのタタ・モーターズ(タタ自動車)でグローバルデザイン部門統括本部長をされている、プラタープ・ボーズ氏との、貴重なインタビューをお送りしていきます!

近年、迅速な経済の成長を遂げてきた中国ですが、その影でインドは中国を凌ぐほどの急速な経済成長を遂げている、様々な可能性が秘められた大国というのは知っていましたか?

そんなインドで国内第2位のシェアを持つ自動車メーカーが、「タタ自動車」です。

このインタビューを通して分かった事は、“タタ自動車は市場を拡大している単なるいち企業ではない”という事。ジャガーランドローバー社を傘下に置いているからだけでなく、真にグローバルな企業であり、グローバルに成長するための哲学において、とても野心を感じました。現在、世界から人材を集めるために国際的なデザインチームの育成に力を入れています。もはやヨーロッパやアメリカの自動車企業と引けをとりません。

記事後半では、カーデザイナーを採用する際に、ボーズ氏がどのようなポイントを見て選考しているのか、さらに就職志願者たちに見られる多くのマイナスな共通点なども語ってもらっているので、是非お見逃しなく!

Mr. Pratap Bose on Youtube

Mr. Pratap Bose(プラタープ・ボーズ) = タタ・モーターズ デザイン部門統括本部長。1998年インドのナショナル・インスティテュート・デザインを卒業後、1999年イタリアのポンチブレアにあるPiaggio & C.SpAへデザイナーとして入社。2001年インドの財団INLAKS FOUNDATIONから奨学金を受け、イングランドのロイヤル・カレッジ・オブ・アーツに入学。2003年同大学卒業後、2007年まで日本のダイムラー・クライスラーで働く。2007年タタ・モーターズでデザイナーとデザイン部門部長を兼任し、彼の挑戦が始まる。2011年現職に至る。まさにIndian Dreamと言えるだろう。

現在どのような仕事をしているんでしょうか?

タタ自動車のグローバルデザイン部門にて、統括本部長をしています。タタ自動車は世界に3つのデザイン拠点を置いています。まずインドのプネー、イタリアのトリノ、そしてイングランドのコヴェントリーにあるTMETC(タタモーター・ヨーロピアン・テクニカルセンター)です。

その3つの拠点を合わせると200名以上のスタッフが働いており、インドには120名、TMETCには50名、イタリアには35名です。私が現職についた当初は40人ほどでしたが今では200名にもなり、イングランドにおいては、4名でスタートしたのですが、7年間のうちに50名まで成長しました。

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タタの乗用車や商用車の開発すべてを見ており、現在は新しい乗用車の開発に力を入れています。我々はインド国内だけではなくて、世界市場で評価されるようなメーカーを目指しています。

最近ですと、過去1年以内に3台もの新車モデルを発表しています。半年先には、更に3台ものモデルの発売を予定しています。全てマイナーチェンジではなくて、ゼロから開発した新しいモデルです。これほどまでに開発スピードが早い企業は他にはないと思います。タタ自動車のブランドのデザインを新しく塗り替えるようなチャンスを得る事ができる環境で仕事ができて、とても光栄ですね。

ちなみに2015年度に発表されたのが次の3台です。ボルト、ゼスト、そしてGenXナノ。ゼストは小型のセダン(全長3995mm)で、ボルトはハッチバック。GenXナノは初代ナノを刷新した小型自動車です。

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 ※from TATA MOTORS

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ゼストはセダン型の小型車。1.2リットルエンジン搭載のガソリン車と1.25リットルエンジン搭載のディーゼルエンジン車も用意した。ガソリン車の場合燃費は17.6km/ℓ、ディーゼル車の燃費は23.0km/ℓである。ムンバイのタタ自動車販売価格リストによると、ガソリン車は507,929ルピー~57,549ルピー(高価格のガソリンモデルで約65万円、最もハイグレードにすると85万円)。ディーゼルモデルは614,427ルピー~844,259ルピー(約80~約109万円) ※from TATA MOTORS

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展示会でGenX ナノと写るボーズ氏。今年5月に発売されたばかりのGenXナノだが、前モデルよりも更に低価格で発売された。多彩なスペックと経済的な価格を印象づけた一台。624ccエンジンとオートマチックマニュアルトランスミッションを搭載。全長3164mm、全幅170mm、車高1640mm。価格帯は219,872ルピー~313,000ルピー(約28万円~約40万円)

これらの3台のうち、一番売上が期待できるクルマはどれですか?

ゼストはとても好調ですよ。理由としては、新しい顧客層を獲得できたのが一番の要因だと思います。今まで女性層の顧客を掴まえる事ができずにいましたが、たくさんの女性がゼストを見に、私たちのショールームに来たので驚いています。顧客数を更に増やしただけに留まらず、女性層という新しい客層を獲得できました。

小さなシティ・カーであるGenXナノについては、とても良い手応えを感じています。旧モデルに比べ300%売上台数が増えています。

タタ自動車のデザインは、インドにおけるカーデザインカルチャーを牽引してきたと思いますか?

当然です。インドだけではないと思います。世界に反響を及ぼしています。例えば、ジュネーブのモーターショーでピクセル(2011年)、メガピクセル(2012年)、そしてネクストロン(2014年)の3台を発表しましたが、とても大きな反響がありました。モーターショー後、たくさんの問い合わせを頂き、「いつアメリカで発売されるの?」といった質問もありました。タタ自動車のデザインの基準がグローバルなレベルに達してきているのだと実感があります。この事が更に私の焦点を世界に向かせています。

タタ自動車でボーズ氏初のデザインとなるピクセルは2011年のジュネーブモーターショーで賞賛を浴びた。※from TATA MOTORS

そもそも私たちの会社の規模で3つのデザインスタジオを持つ事は並外れた事なんです。前会長のラタン・N・タタはアメリカのコーネル大学で建築を学び、デザインに対して繊細な感覚を持っています。実際に、海外にデザインスタジオを設立する事も彼が推進してきました。

過去2年内に就任した、現会長のミストリーですが、彼もまたデザインについてとても関心が深く、現代的な考えを持っています。以前は、「なぜデザインが重要か」という声を積極的に社内であげる必要がありましたが、近年ではなくなりました。というのも社内でデザインに対してある一定の期待が既に見込めるようになったからです。これらの変化は過去5年ほどの中で起こりました。

改めて思いますが、インド国内で1位というだけでは満足できませんね。

今までの学歴と経歴について教えて下さい。そして、カーデザインに関心を持ったきっかけは?

1970年~1980年代にインドで育つという事は、カーデザインに目覚める事自体がとても希な事です。もともと、美術や絵画、建築にとても興味がありました。プロの建築家がどういうものなのかを多少なりとも知っていたので、「建築家なら芸術的で技術的側面を持ち合わせているし、これなら自分でも熱心に取り組めるだろう」と思いました。ですが、カーデザインについては完全に無知でした。当時のインドは、ヨーロッパや日本で育つ環境とは全く違い、クルマが少なく、輸入された車をごくたまに見かけるくらいでした。

ある日、メタリックブルーのメルセデスベンツ280SELが、タージマハールホテルの前に止まっているのを見かけました。当時わたしが住んでいた場所のすぐ近くです。それがすごく印象的で。今でもはっきりと思い出せます。よく晴れた日のボンベイでした。私はホテルと車を見比べました。そして思ったんです。“誰かがこのホテルの建築をしたんだ”と。それから、誰かがこの車をデザインしたのだという事にも気づきました。その時点では、カーデザイナーの存在については知りませんでした。これがカーデザインに興味をもったきっかけです。198990年の事です。

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豪華絢爛な建築が施されたムンバイのタージマハールホテル。ここでボーズ氏はホテルを眺めている時にメルセデス280SELに出会い衝撃を受けた。(from Bespoke Traveller)

それから、アーメダバードにあるNIDに入りました。1000人の受験者のうち、30人しか合格できないという厳しい競争率でした。

その頃は今と違い、インターネットやPhotoshopもありません。では何が手元にあったかというと、水彩絵具とフェルトペンです。

テクノロジーは確かに人間をサポートしてくれていますが、それだけに過ぎないと思んです。私たちはペンと鉛筆があればいいのです。この事は常に覚えておく必要があります。

NIDの教授たちの中に、カーデザイナーになるための豊富な経験を持つ者は誰ひとりいませんでした。だから独学で学びました。もちろん教授たちの多大なサポートがあってこそですが。

パソコンもインターネットもない時代に、どうやってカーデザインを学んだかというと、車の雑誌です。その頃、それらの雑誌は船便でNIDに輸送されてきていたので、カースタイリングは発売より3~4ヶ月遅れで読む事ができました。

NID卒業後、イタリアのオートバイメーカーのPiaggio & C. SpA.に応募しました。きっかけは、1999年にインドでピアッジオがスクーター開発に乗り出すというニュースでした。ポートフォリオを郵送すると、イタリア行きの航空券が送られてきました。そして日曜日の午後イタリアへ降り立ったのはいいんですが、店やレストランは全て閉まっていたんです!イタリア語も話せなかったので途方にくれました()

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Piaggio & C. SpA時代にボーズ氏が描いたデザインスケッチ

それから半年経つと、イタリアに残らないかと聞かれたので、さらに2年いることになり、イタリアブランドのギレラやベスパも手がけました。とても充実した3年間でした。そして、その頃になるとカーデザイナーになりたいと強く思うようになっていたので、2001年にロンドンへ移り、ロイヤルカレッジオブアート(RCA)へ入学しました。幸いにもインド財団、INLAKSより奨学金を受けることができました。そして、RCAでカーデザインについて学び、素晴らしい教授や良き仲間にも恵まれした。中にはコヴェントリー大学から来ていて、既に自動車関連の学士を取っている学生もたくさんいました。私の学士は工業デザインのプロダクトデザインです。

個人的には、若い人にとって上司を選ぶということのほうが、企業を選ぶことより遥かに大事なことだと思います。大学を卒業して間もない若いうちは、デザイナーとして働く時に、どの会社のデザイン部で働こうとも、あなたの上司になる人で決めるべきです。

あなたが影響を受ける人はだれなのか、誰の姿を見て学ぶか、とても大事なことです。

それから、卒業を迎えた時、この先どうしようか、どこに就職しようかと悩みました。

すると日本からチャンスが舞い込んできました。その頃、私は三菱自動車で活躍していたオリビエ・ブーレイ氏の存在にとても刺激を受けていました。当時グランディスなどの生産車、そして数々の面白いコンセプトカーをたくさん発表していて、三菱自動車が手がける製品に感銘を受けました。そして思ったんです。わたしは、オリビエ・ブーレイ氏と一緒に働きたい!と。そのころブーレイ氏は、MMCデザインの部長をしていて、私は姉妹会社である名古屋のNIMURADESIGNに就職しましたMMCのためだけの自動車プロジェクトを手がけていた企業です。

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ブーレイ氏と現在カーデザインアカデミー監修を務める栗原典義氏(2002年小田原にて)

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横浜のメルセデス・ベンツのアドバンススタジオ

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横浜のメルセデス・ベンツ・アドバンススタジオにてオリビエ・ブーレイ、ボーズ氏、そしてデザインチームのメンバーと共に撮られた一枚

オリビエ・ブーレイ = 1957年、フランス生まれ。2001年5月にダイムラー・クライスラーが三菱自動車の経営を引き受けるにあたり、ブーレイ氏は三菱自動車のデザイン部門のトップに任命された。2004年にダイムラー・クライスラーが三菱自動車との提携を解消したため、以前の地位で日本のダイムラーのアドバンスデザインスタジオに戻った。2009年から北京にあるダイムラーのアドバンスデザインセンターの副社長に就任。

ご存知の通り、2005年に三菱自動車はダイムラーとの提携を解消したので、ブーレイ氏は三菱を去りましたが、その時、わたしに横浜にあったメルセデス・ベンツのアドバンス・スタジオを紹介してくれたんです。もちろんわたしはそのオファーを受けました。そしてメルセデス・ベンツのアドバンス・スタジオで働くことになりました。ブーレイさんと共に働いた3年間は決して忘れることができません。

私たちは多くの社内用のショーカーなど、先行開発を手がけました。中には開発を視野にいれた生産モデルも作りました。ジェネレーションSクラスやSLT,GLCなど、みなさん見たことがあるクルマも、2005年~2007年の間に私たちが先行開発で手がけたものです。

その頃から、インド企業のために何かしたい、という気持ちに駆られるようになりました。偶然にも産業会議に出席していたタタ自動車の経営部部長だったラヴィ・カント氏に出会いました。彼に会った時、「タタ・モーターズ・デザインを変えたい。」と私は伝えました。そしてさらに、「タタ社長と30分だけでもいいので会うことができませんか?」とたずねました。

カント氏は驚いた顔で私を見ていました。おそらく「誰だお前は?突然頭がおかしいんじゃないのか?」と言いかけていたように思います。その様ないきさつで、彼は私の連絡先を聞き、わたしはそのデリーでの会議を終えて日本へ帰りました。しばらくしてからカント氏のオフィスからメールが届き、『次の日時にボンベイへ来て下さい』と書いてありました。今でもはっきり思い出せます。2006年5月5日。タタ社長と30分会えるのでボンベイへおこし下さい、という事だったんですね。

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タタ自動車経営部長のラヴィ・カント氏。ボーズ氏とタタの社長を引き合わせた人物

タタの社長と会えるなんて驚きで信じられませんでした!スパムメールなんじゃないかと疑ったほどです。が、しかし本当でした。自分のポートフォリオも一緒に持っていき、タタ自動車が今後どうあるべきか、どうしていくべきか、どの様な存在にあるべきか、といった内容をとりまとめたものも作って行きました。そしてボンベイへ行き、タタ社長に会いました。タタ社長はとても熱心に私の意見を聞いてくださって、素晴らしく紳士な方でした。

−それはすごい!まさにインディアン・ドリームですね!−

生徒さんたちへのメッセージですが、“チャンスは決して逃すな”ということです。もしそのチャンスを逃したら、その結果何が起こったのかも分からずじまい。

私のケースで言うなら、最悪な事態はカント氏が私の申し出に対して「そんな事は忘れなさい。」と突っぱねる事でした。ですが、幸運な事に彼は「Yes」を出してくれました。いつだって相手がYesと言ってくれる確率は五分五分です。物事が正しく論理的で考えられたのなら、ほんとんどの場合、人々はYesと言うと思います。

わたしがひととおり、何がタタ自動車のデザインに必要なのかを社長に説明し終えると、「あなたがタタ自動車とタタ自動車のデザインについて語ってくれた事の、ほとんどに反対です。けれど、あなたの視点で意見を述べてくれた事にとても感謝しています。ぜひタタ自動車の未来に、あなたの力を貸して下さい。」と仰ってくれました。

その出来事を日本に持ち帰って、どうしても新しい挑戦をしてみたいんだ、とブーレイ氏やドイツのファイパー教授に相談しました。彼らが背中を押してくれたこともあり、2007年より、イングランドに移り住み、タタ自動車で働き始めました。2011年に、全社合わせたデザイン部門の部長になり、それから4年経ちました。ご覧の通り、3~4台のコンセプトカーたちがその集大成です。そして先ほどお話しましたが、現在3台が生産途中にあります。来年は新型3台の新車が発売予定です。現在みなさんの目に映る全てが、これまでの私たちの軌跡と成果なんです。

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ラタン・ナヴァル・タタ(1937年12月28日生)インドのビジネスマン、実業家、博愛主義者であり、タタ・サンズ名誉顧問。19912012年、ムンバイを拠点とする企業グループ、タタ・グループの会長だった。2012年に会長の座を退いたが、同グループの公益信託の会長を務めている。(from Wikipedia

サイラス・パロンジ・ミストリー。インドのビジネスマン。20121228日、副業企業になったインドのタタ・グループの会長に就任。第6代会長を務め、経済学者たちは彼の事をインドとイギリス内で共に『最も影響ある実業家』と述べている。(from Wikipedia BMS)

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2011年ジュネーブ・モーターショーにて。タタ前社長、ミストリー現社長、そしてボーズ氏らによるタタ自動車のビッグショット

−いつもグローバルな視点で色々お考えのようですね。−

わたしはいつもグローバルに考えています。正直なところ、インド国内だけという市場は規模がとても小さい。アメリカ国内で最高の売上を達成しているセダンは日本車です。インド国内で人気を誇るスズキやヒュンダイ、ヨーロッパで急速な成長を遂げているKIAなどを見れば分かるように、グローバルな影響から保護される市場は世界のどこにもありません。

世界は変化しつづけています。世界の現実をもっと受け止めなければなりません。

そうですね、例えば・・・日本企業以外では、あまり日本人デザイナーの姿を見かけません。韓国や中国出身のデザイナーはたくさんいるのに。グローバル企業は物事を型にはめずに考える事から始めています。

−確かに、日本人は日本の会社で働く事に居心地良く感じている人が多いかもしれませんね。それが逆に日本企業の将来的な成長を制限してしまっているのかも。−

そうですね。日本の企業は、精神的な面で、世界を受け入れる必要があると思います。デザイナーはグローバルな企業や海外ブランドで働くチャンスはたくさんあります。それはキャリアにもつながります。現に日本にはたくさんの技術があり、あらゆる事に挑戦していっている事も知っています。それは疑いようのない事実です。世界に誇る有数の日本人デザイナーやモデラーがたくさんいます。ですので、もう少しオープンになったほうがいいと思うんですよね。

タタの場合はどうですか?200名のスタッフのうちインド出身者は何名ほどいますか?海外出身者は?

前回数えた時は、デザインチーム内だけで11ヵ国。アメリカ、フランス、イタリア、イギリス、ドイツからデザイナーやモデラーがいます。イランからのデザイナーも1人、そしてもちろん同様にインドも。オーストラリアや韓国出身のデザイナーもいます。全てのスタジオには様々な国籍の者たちが働いています。

実際インドのプネーにはイギリス人デザイナーが2人、オーストラリア人が1人、そしてフランスと韓国人デザイナーがいます。

タタも、これだけ素晴らしい国際色豊かなデザイナーたちを獲得する事ができています。新卒者の就職率も高い。韓国、フランス、イングランドの新卒者を採用してきましたが、とても良い事です。

4~4.5メートルほどの小型車が私たち主流の製品です。それをアメリカ出身のデザイナーに任せると、スケールの感覚が全く違うことがありますが、そういった時ほど、面白いディスカッションになっていきます。例えば、韓国人デザイナーの場合は、コンパクトなデザインをするのが得意でした。しかし、あえて彼にピックアップトラックのデザインを任せました。というのも、国際色豊かなチームだからこそ、彼を筆頭に様々な視点から出てくる意見の展開を期待したかったからです。

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タタ自動車のデザインチーム。性別や国籍にとらわれない多様な人材が見て取れる

−日本、インドネシア、インド出身のCDA卒業生が数名いますが、タタ・モーターズは、私たちの卒業生にも門戸を開いてくれますか?もちろん、どの生徒も優秀な事は保証します!そして、CDAの生徒たちにアドバイスをお願いします−

私にとって国籍やその他の事は特に重要ではありません。色々な国出身のデザイナーがいますからね。国籍は特に問題じゃないですね。

技術面のレベルでいうと、デザイナーにとって描く力や視覚化する力はかなり基礎的で大事な事だと思います。なぜなら、たくさんの人たちとあなたのアイディアについてコミュニケーションを取らなければならなくなるからです。学生のうちは、ほとんど自分でアイディアを練って作っていきますよね。

プロの現場では、スケッチを描き、CADモデラーと話し、クレイモデラー、エンジニア、マーケティングの人間と必ずコミュニケーションを取らないといけません。デザインを実現するためには多くの人たちとコミュニケーションをとらなくてはならないのです。

スケッチ力はとても重要に感じています。というのもスケッチは言葉では伝えきれないことを伝えられる力があるからです。デザイナーの技術のレベルはとても重要になります。

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ボーズ氏によるサファリ・ストームの最終スケッチ

そして次に、アイディアを練る時には、どのようにアプローチするかが重要になってきます。デザインとは格好良いレンダリングをするだけではありません。アイディアやコンセプトが伴います。そして、新しい考え方が、あなたの世界や仕事にとても大切な時があります。

頭文字を取ってPSDと読んでいますが、この3つのステージがとても大切です。Proportion(全体のバランス)Surface(表面)、Detail(細部)。とても重要な基本のステップです。

時々学生から分厚いポートフォリオが送られてきますが、理解度があり、かつ完璧に描かれていれば、1ページだけだって構いません。

カーデザインではまずプロポーションから始まり、次に見た目、そして細部を手がけますよね。

ほとんどの学生はその事に気づかずに、すぐ細部に取り掛かろうとします。後ろに下がって全体のプロポーションを見ずに、車体表面に早く取り掛かろうとします。カーデザインをするということは、100m~200m離れた所から見る事も想定しないといけません。

クルマを見るとき、まず全体のプロポーションが目に飛び込んできて、近寄ると表面が見え、そしてより近づくと細部が分かります。送られてきたポートフォリオを見ると、すぐ細部に取り掛かっている人たちが、だんだん増えてきています。

そんな人たちは揃ってみんな、車体にたくさん装飾を入れたり、ライトやシェードにこだわったりしていますね。後ろに下がり距離を置いて全体を見る事を忘れています。カーデザインは携帯電話をデザインするのとは違うんですよ。

下記のスケッチは2014年のデリーで開催されたNEXONショーとジェノバモーターショーのために2013年にボーズ氏が描いたスケッチ

インタビュアーの橋本より

ボーズ氏はオープンで気さくな方だったので、とても楽しいインタビューになりました。インタビュー中、私はボーズ氏がインディアン・ドリームに成功しているのだと認識せざるをえませんでした。しかし、それは彼がただ単にラッキーだったからではなく、彼の中に自然と芽生えている情熱や経営哲学がバランスよくあったからだと思います。

彼は学生たちへこうアドバイスをしています。『訪れるチャンスは決して逃すべきではありません。もしそのチャンスを逃したら、その結果何が起こったのかも分からずじまいです。』

彼のタタでのエピソードの様に、会社の外で初めて会う人に「あなたの会社の社長に会わせてくれ!」なんて普通は聞けませんよね。彼の挑戦への情熱が相手の心を動かしたのだと思います。考えや行動に自信が持てない時はたくさんあると思いますが、それは思い切りと勇気が足りていないのではないでしょうか。

そして、もう一点このインタビューから得た事ですが、ジャガーランドローバーを傘下に置いているからという理由ではなく、タタ自動車が真にグローバルな企業である事が分かりました。

部門のトップである彼のビジネス哲学は、常に世界にフォーカスしておりいます。そして、保守的な企業体制を変革するために、インド外から11ヵ国に及ぶスタッフを採用しています。

ちなみに、インドでの自動車生産量は13億人の人口に対して年間350万台、中国の生産量は2300万台で人口はほぼ変わりません。競合に打ち勝ち、更に成長を遂げるタタ自動車の姿を期待しています。

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