車・バイクを愛するこんな人ーHOT BIKE Japan創刊メンバー・シラセイズミに会ってきたー


 

「俺は生きていることが仕事なんだ。」

 

そう笑いながら話すシラセイズミという男。

カスタム、メンテナンス、旅、ファッション、そしてアメリカのバイカー達のことなど、国内初のハーレーダビッドソン専門誌として1992年に創刊されたHOT BIKE Japan(ホット・バイク・ジャパン)の創刊メンバーにしてLA支部を任されている人物である。

また1977年にスケートの聖地、カリフォルニア州ベニスビーチで始まったスケートブランド、Dogtown Skateboards(ドッグタウン・スケートボーズ)の立ちあげメンバーでもある。カリフォルニアスケートシーンの歴史を知らずとも、Dogtown Skateboardsを象徴するクロスのロゴを目にしたことがある方も多いだろう。

そして湘南を代表するファッションブランド「SPORTIFF(スポーティフ)」と隣接した場所に構える、Mar-Vista Garden(マービスタ・ガーデン)というラテンアメリカの家具を中心としたUSED家具ショップの主でもある。

そんな同氏にインタビューする機会をいただき、終了後こうして今キーボードを叩いているのだが、どこからどう書き説明をすれば読者の方に一番理解してもらえるのかと、頭を捻り、出した結論が、わずか3時間ほどのインタビューでシラセイズミという人間を理解してもらうのは不可能に近い、ということだ。

匙を投げたわけでは決してないのだが、筆者のようなごく凡人の理解の範疇を超えた人物なため、当日話した内容を出来る限り忠実に書き起こすことに注力し、シラセイズミという男への理解は、読者の方にお任せしたいと思う。

 

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シラセイズミ=ロスアンゼルス・Mar-Vista在住。東京都千代田区に生まれ、鵠沼で少年時代を過ごす。その頃からサーフィンとスケートボードに熱中し、数々の大会で活躍。二十歳の時に渡米し、その後すぐ、Dogtown Skateboardsのメンバーとしてブランドを立ちあげ、西海岸から世界のスケートブームに火をつける。一方、モーターサイクルや車に造詣が深く、ハーレーをこよなく愛し、モンゴルスやヴァゴスといったバイカーギャングと親交のある数少ない日本人。スーサイダル・テンデンシーズを筆頭にThe Black Tibetansなど数々のバンドとも交流を持ち、現在は日本とアメリカを行き来する生活を送る。ちなみに、日本人として初の南極探検を行ったことで有名な白瀬矗(しらせ のぶ)を祖父に持つ。2012年5月より、茅ケ崎市東海岸南2-11-15にてMar-Vista Gardenをオープン。ロスアンゼルスのウエアハウスを彷彿とさせる建物で、現地で買い付けた上質なUSED家具を信じられない程の良心的な値段で提供している。

 

 

スポーツカブから始まった

幼い頃からとにかくエンジンが、いわゆる内燃機関というのが好きなのです。

父親がマセラティ、フェラーリ、ジャガー、プジョー、サーブの総代理店をやっていた会社の常務だったため、手の届くところにはいつも車がありました。

父はよく会社のクルマに乗って帰ってきていました。

とてもカッコよかったです。特にジャガーのMk2というのが好きでしたが、Eタイプや、フェラーリの275GTBもいいですね。

そのような環境で育ったため自然と興味を持ったのだと思います。

父は3連キャブが6発ついている、スカイラインの2000GT-Bに乗っていましたが、乗り心地が悪いって母は文句を言っていました。

 

 

中学3年の時に姉のボーイフレンドから5,000円で譲ってもらったのがキッカケで、初めて乗ったバイクはスポーツカブでした。

片瀬川の河川敷でモトクロスの真似みたいなことして、無茶なことをしていたのが楽しかったです。

それ以降、バイクにずっと乗っていました。

車は、最初はブルーバード510だったと思います。4ドアでコラムの3速、ベンチシートで、それに18歳から2年くらい乗っていたと思います。

二十歳のときにある事で、カリフォルニアのベニスに行くことになりました。

 

 

1ヶ月150ドルのビーチバンガロー

二十歳のときにある事で、カリフォルニアのベニスに行くことになりました。

当時、姉がすでにベニスに住んでいたのですが、母に「妊娠しちゃった」と電話があり、色々と費用がかかるからわたしにベニスまでお金を持ってこさせろ、ということでした。

それでお金を持たされてベニスまで行くと、姉はなんと言ったと思いますか?

「イズミ、あんた本当に持って来たの?」って。

少しおかしいとは思っていましたが、妊娠なんてしていなかったのです。

わたしの姉ながら本当に信じられません。人としてついてはいけないウソがあるでしょう。

 

 

わたしもアメリカに行けるなんてラッキー、くらいにしか思っていなかったのも事実ですが。

時間もあったので1~2ヶ月くらい滞在しようか、などと軽い気持ちで考えていたのが、今までアメリカに住み続けることになりました。

 

居続けることになったきっかけは…女性でした。

姉と、その彼氏と3人で住んでいて、あるときパーティーをひらくと、そこに来ていたハンガリー生まれのニューヨーク育ちで、アーティストのエバという子と仲良くなりました。

すぐにわたしは彼女の家に転がり込み、どんどん滞在が伸びていったのです。

スケートボードは日本にいる頃からやっていたので、そこから後のパートナーになるジムミューア*や、その弟のマイクミューア*と知り合いました。

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ジムミューア=Z-Boysの伝説的メンバーでDogtown Skateboardsの創立者。ベニス・ビーチのボスと表されることも。

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マイクミューア=ベニスで結成されたスーサイダル・テンデンシーズのボーカル。その音楽性だけでなく、過激な歌詞とギャングのようなファッション、自殺を示唆するようなバンド名、そのあまりにも激しすぎるライブが問題となり、ロスでのパフォーマンスを禁止されたことでも有名。

 

ベニスという街は、ストリートカルチャーが強い街です。

スケーター、バイカー、サーファー、アーティストが大勢住んでいます。

最後のビーチサイドスラムって言われており、ベニス13(サーティーン)っていうギャングが、他の侵入を防いでいるという感じです。

 

こう話しをしていると、当時を思い出します。

スーサイダル・テンデンシーズがまだ有名になる前で、そのギグ(ライブ)に行くということはロサンゼルスの奴らと喧嘩をしにいくようなものでした。

スーサイダル・テンデンシーズは、ロスではライブが禁止されていたので、ローカルの潰れた教会でライブをしていました。

となりのハモサビーチではCircle Jerks(サークル・ジャークス)、Black Flag(ブラック・フラッグ)やFEAR(フィアー)など、いわゆるロスアンゼルスのパンクロックが生まれた場所です。それに対抗してベニスビーチはスーサイダル・テンデンシーズ。

今でも仲が良いですよ。

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Dogtown Skateborads

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そのようなこともあり、Dogtown Skateboardsを立ち上げることになり、板やスケートビデオ、服やら出すだけで売れていきました。

しかし当初からいい加減でした。どれくらい売れていったのかも分からなければ、お金があっても無くてもお構いなしに使っていました。

一応会社なのですが、無茶苦茶で毎日ここでは言えないようなことばかりでした。

本当にいい加減だったので、2年やり少し辞めて、また復活してとかそのような感じでした。

アクション・スポーツ・リテイラーというクイックシルバーやZooYork、エクストリーム系に関連するブランドが出店する最大の展示会みたいなものがあるのですが、うちのライダーだったジュリアン・ストレンジャーという男が、そこで隣からカリフォルニアクーラー(ワイン)をケースごと盗んできてしまい、3年間くらい出入り禁止になってしまいました。

それなら、じゃあ辞めちゃおうぜ、と。

 

出入り禁止期間が終わると、「お客さんの希望が多いのでまた出て下さい」と向こうから言ってきたので、また出店するようになりました。

エリック・ドレッセン、アーロン・マーレー、クリスチャン・ホソイ、ジェイ・アダムスとかね、名だたる人物らが揃っていたこともあります。

Lords of Dogtown(2005)=1970年代のアメリカ西海岸ドッグタウンにて、スケートボードの斬新なスタイルを生んだZ-BOYSの実話を基に映画化。ドッグタウンと呼ばれる寂れた街で、サーフィンとスケートボードに没頭するステイシー、ジェイ、トニーの3人が、溜り場のサーフ・ショップ「ゼファー」のスケート・チーム「Z-BOYS」から独立し、それぞれの道を歩むまでを描いている。

 

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とあるパーティーでいれてもらったTATOO。「パンヘッドフォーエバー、ファックダレスト」と入れてくれと頼んだところ「P×H×F×E」となってしまった。(フォーエバーは本来、”F”一文字。彫師が間違って”F×E(FOR・EVER)”と入れてしまった。ちなみにシラセ氏のこのTATOOはアメリカの雑誌でも”ぶっ飛んでるパーティーでタトゥー入れるとこうなるので気をつけよう”と、ジョークネタになっている。

パンヘッド=1948年に登場したハーレーのエンジンのこと。ロッカーアームのカバーが”なべ”に似ていることから名付けられた。

 

ベニスにはビーチバンガローを借りて20年住んでいました。

広い土地に何件か一軒家が立っていて、家賃は月に150ドルでした。しかも最初は100ドルだったのです。

今は、ベニスを見下ろすMar-Vistaというところに住んでいます。

日本とは違い治安は最悪ですが、そのヒリヒリする感じがクセになり、少し離れているとまた戻りたくなります。

車に乗っていると、赤信号でギャングに囲まれたこともあります。

ダッシュボードにしゃがみ手だけ出し、アクセルを踏んで逃げようとすると、すぐに撃たれて弾が腕をかすめていきました。

焼けるような痛さでした。

 

シラセイズミと車

アメリカでの生活では、車は生活必需品です。絶対に必要なものです。

そしてそれだけではなく、単純に好きですからいろんなクルマに惚れ込むのですけど、とにかくV8が好きです。

同時に67年のフォルクスワーゲンのスクエアバックや64年のヴァリアントにもずっと乗っていました。

当時は車の登録も安く、ガス検も無かったので、車を買うお金さえあれば何台も持てました。

車自体も安かったですしね。スクエアバックが1000ドルとか。それで一番高いくらいです。

最初に買った60年のインパラなどは150ドルでした。

ベニスってそういうところだったのです。全てにおいて安く物々交換。

 

わたしはやはりV8が好きなので、車は最終的にピックアップトラックに行き着きました。

84年式のCHEVROLET C/K 5.7 LのV8です。4速ATでシルバーとオレンジに塗ってずっと乗っていました。

その後は2500HDロングベッドで4ドア、8.1リッターのV8を経て、今はフォードのブロンコに乗っています。何年のかはわかんないのですが、V8エンジンを積んでいます。

それは友人から買いました。その友人が2,000ドルで売りたいというので、「高い」と言うと、1,500ドルでどうだ?というのです。

「お前は仲間にそんな値段で売りつけるのか?」と聞くと、分かった1,000ドルでどうだ?と言うので、「1,000ドルっていうのは2,000ドルの半分だろ?それがお前の言う友達プライスなのかよ」と返しました。

「じゃあ900ドルでどうだ?」っていうので「100ドルしか落ちてないじゃないか。そうか、お前はその程度の友情しかないのか」って言ったら500ドルまで下げてくれました。

 

いま日本ではメルセデスを運転することも多く、本当に至れりつくせりの良い車だと感じます。

ターボディーゼルはいいエンジンで燃料も食わず、壊れないし早いし、何から何まで不自由することがありません。

 

しかしどちらが好きかと言われると、わたしはやっぱりピックアップトラックです。

行き着くところは人それぞれあっていいと思いますが、やはり自分に合ったものを選んで乗ることは大切だと思います。

 

ハーレーダビッドソン

一番初めに買ったのは80年代です。

前後16インチのFLHが安かったので買い、全部はずしてストリップドレッサーにして乗っていました。

後々このスタイルが主流になっていくのですが、アメリカに行ってから10年くらいしてからです。

車に比べてハーレーは高く、最初に買ったFLHで確か3,500ドルくらいでした。

インパラを150ドルで買っている時代ですからね。

 

そこから5、6年してHOT BIKEを出すことになります。

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ヒロ河口というハーレーのメカニックに「今度ハーレーの本出したいんですけど」と相談に行くと、編集長の池田伸という男に、わたしのことを紹介してくれました。

そして、池田がわざわざロスまで会いに来て「一緒にやらないか?」と声をかけてくれ、お互いに気が合うことも分かったので、「いいよ、やろうよ!」と言い、それで始まりました。

もう20年以上前になるのかな。

L.A. WHAT’S UPっていうコラムを一回もかかさずに、119号くらいまで書きましたが、最近ちょっとサボってしまっています。

向こうで起こっていることをびっしりまとめて好きに書いている感じなのですが、わたしのコラムはコアなファンと、嫌いっていう人とはっきり分かれるみたいです。

 

(バイクを指さしながら)これもね、NRA(全米ライフル教会)のステッカーなのですが、好きだって人と嫌いだって人がはっきり分かれますよね。バイカーは大体みんな入っているものなのですが。

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これは「Ass, Gas Or Glass! Nobody Rides For Free」って書いてあります。
”ケツかガソリンか、マリファナで払えよ、誰もタダでは乗せねえぞ”って意味なのです。

わたしは1%er(ワンパーセンター)ではないのですが、1%erの友達が多いのでこういうノリは好きです。

 

1%er(ワンパーセンター)=第二次世界大戦後、ストリートでのレースや交通の乱れ、曲芸乗りや暴動による治安悪化などを受け、AMA(アメリカン・モーターサイクル・アソシエーション)は”このような悪いバイカーは1%に過ぎない。残りの99%は善良なバイク乗りだ”と声明をだす。それに対し、アウトローバイカーは自らがその1%だということを自負するようになる。

 

彼らにとってはノリがどうこうではなく、生きるか死ぬかの問題です。

あまり知らない人もいるかもしれないですが、アメリカのバイカーっていうのは不良達のトップです。

いわゆる悪人の集団であることは間違いありません。

そのかわり、グループ内での結束は強いです。

モンゴルスというMC(モーターサイクルクラブ)を取材したいというわたしを友達の紹介だから、と受け入れてくれて、「今週末に40周年のランがあるから一緒に来い」と、モンゴルス100名くらいと一緒に走ったりもしました。

モンゴルス=モンゴルの英雄チンギス・ハーンにちなんで名付けられたこのチームは1969年、ヒスパニックのベトナム帰還兵を中心にカリフォルニアで誕生。現在はアメリカ国内で70の支部、500から600人の構成員がいるとされている。麻薬の生産から販売までを一括してとりおこない、誘拐や資金洗浄なども生業としているためアメリカのATFは最も危険なグループとして彼らをマーク。ヘルズ・エンジェルズに人種上の理由で入会を断られたメンバーが中心となって設立されたため同グループとはすさまじい闘争を繰り広げてきた

モンゴルスは警察がマークしていて、集まることが禁止されているのですが、一つだけ集まれるバーがありそこでその後パーティーをしたりしました。

紹介してくれたケリーという友達と一緒に行く予定だったのですが、急に電話がかかってきて、「どうしても出られなくなっちゃった、一人で大丈夫?」と伝えられました。

まさかモンゴルスのパーティーに一人で行くのかよ、と思いましたが、とりあえず”OK! I’m fine!”と答えました。

本当に大丈夫か?と何回も聞いてくるので、I’m sure! I’m cool. と返しました。ケリーの父親がアニマルといい、モンゴルスの古いメンバーだから大丈夫だろうと思っていました。

パーティーの場所に行く道が一本しかなく、そこには”プロスペクト”といって、まだメンバーになれてない丁稚奉公みたいなヤツらがズラっと護衛していました。

そこへわたしが行くと、車停めて「ア〜?」と感じになるわけです。「アニマルに会いに来たんだよ」というと通してくれました。

そういうことが無いと絶対に無理です。本当の1%erだからスゴいのです。

 

註)その他のモーターサイクルクラブに関する説明はこちら

 

シラセイズミにとってのバイクとは

わたしにとってバイクとはハーレーのことです。

バイクとは何か、と聞かれてハーレーと答えておいて何ですが、しかし先日アメリカで、トライアンフのスピードトリプルを買いました。  

ハーレーはリアブレーキで止まります。

その感覚でリアブレーキをかけても、トライアンフは全然止まらず、それでフロントブレーキをかけると、とても効ききます。

そうすると下に砂があったので、最初の信号で転んでしまいました。

それでフロントブレーキレバーが折れてしまったので、結局家までリアブレーキで帰りました。

ハーレーは独特のポジションですからね。

お客さんでも古いドゥカティを乗っている人がいるのですが、ライディングポジションが違うので、ハーレーに乗り慣れているとそっちには乗れません。

 

結局長く乗っていないと、バイクの方が勝ってしまうのです。

ほとんどの人が、バイクのほうが勝ってしまっていると思います。

波乗りでも同じだと思いますが、板が勝ってしまってもしようがないでしょう。

自分と同じ道をバイクと歩んでいると、乗っていてとてもしっくりくるし、それには年月がかかります。

やはり変なバイクの方が面白く感じるものです。ですので、今のハーレーはわたしにとっては大した魅力は無いのかもしれません。

エンジンも故障知らずで、良いモーターサイクルなのですが、わたし好みではありません。

そんな優等生である必要はなく、乗る人がしっかりすれば良いのです。

だから昔のバイクに行く人が多いのだと思います。

 

そして、ハーレーは高いでしょう。しかしながら逆を言えば、お金を出せば誰でも乗れるということです。

お金ではどうにもならないことは、ハーレーと過ごした時間です。それはお金では解決できません。

長い年月を一緒に過ごしてどんどん馴染んでいきます。

だからこそ好きでないと無理です。 好き、というのはいつも磨いている、というのとは少し違う意味で、いつも必ず自分の心のどこかを占めている、ということです。

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Mar-Vista Garden (マーヴィスタ・ガーデン)

2012年にオープンしたMar-Vista Garden。好き勝手に写真を取らせていただいたのだが、西海岸で買い付けたその商品にはアメリカ大使館を始め、各国の大使館で使われていたものなど、上質な家具達が豊富に並んでいる。今回、約3時間の取材だったのだがひっきりなしに売れていく売れていく。「良い物を高く売ってもカッコよくないでしょ?良い物をとっても安く売るからカッコいいんじゃない」と笑いながら話すシラセイズミさんを横目に、取材に同行したカーデザイナーの池田氏は本気で購入を迷っていたほど。

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2階にはなんと髪をカットするサロンルームまで備え付けられている。

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最後に、SPORTIFF代表の岩倉瑞江さんもいらっしゃったので撮らせていただいた。キッチンやトイレのタイルなどは、シラセさんではなく、岩倉さんのセンスでチョイスされているそう。

 

 

Mar-Vista Garden(マーヴィスタ・ガーデン) 茅ケ崎市東海岸南2-11-15

Facebookページでも、入荷した商品やイベントの様子をアップしている。興味のある方はこちらからどうぞ。

 

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