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【インタビュー】現役のカーデザイナーに会ってきた!ーznug design(ツナグデザイン)根津孝太さんの場合ー

前回インタビューをさせて頂いたカーデザイナー米山知良さんからのご紹介により、今回のインタビューが実現いたしました。

前回記事はこちらよりご覧いただけます。

【インタビュー】現役のカーデザイナーに会ってきた!米山知良さんの場合

 

今回はTOYOTAで13年のキャリアを経た後、ご自身でznug designを設立し、インハウスで働くということと、独立するということの両方をご経験されている現役のデザイナー根津孝太さんから、お話を伺ってきました。

 

また、カーデザイナーを目指す方々へのアドバイスも頂いてまいりましたので、以下本文よりお読みください。

 

現役のカーデザイナーに会ってきた!ー根津孝太さんの場合ー

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根津孝太=1969年東京生まれ。東京都立西高等学校を卒業後、千葉大学工学部工業意匠学科でプロダクトデザインを学ぶ。1992年、トヨタ自動車に新卒で入社。13年のキャリアを経て、2005年znug designを設立。愛・地球博で衝撃を与えた未来型パーソナルモビリティーi-unit、親子で楽しむTOYOTAのコンセプトカーCamatte(カマッテ)、日本初の普通免許で公道走行可能なリバース・トライクOuroboros(ウロボロス)やドバイの富豪を一目惚れさせる電動バイクzecOO(ゼクー)等、今までにないワクワクするプロダクトを生み出し続けている。

 

花よりクルマ

クルマとの出会いは、それこそ物心ついた時にはすでに、車大好きという感じでした。

 

特別、クルマに囲まれた環境で育ったわけでもなく、普通のサラリーマンの家庭で、小さい頃は家にクルマもありませんでした。

それなのに幼稚園に上がる頃にはクルマの絵を描いており、当時の絵を見ると、外形スケッチではなく中身が描いてあるのです。

 

エンジン的なもので、機械の仕組みに興味があったようです。

 

デザインという言葉の語源にも関わってくる話だと思うのですが、デザインは「スタイリング」という意味と、いわゆる「設計」という意味も含まれています。

 

今思うと、小さい頃から両方やりたかったのだなぁと思います。

不思議ですよね。

 

気がつくと、とにかく車が大好きでした。

 

花の名前は1つも覚えなかったけれど、車の名前は全部覚えていた、と母親がよく話します。

 

ブーンと遠くで音がすると「あっ、スカイラインだ!」みたいな、そのような子供でした。

 

小学生時代

小学校2年生くらいのころは、スーパーカーブームでした。

ランボルギーニ・カウンタックにはデザインした大人がいるらしい、ということはうっすら理解していました。

絵はずっと描いていましたが、全然上手くもないので興味の範囲で、描くのが好きで描いていました。

クルマだけではなく、宇宙戦艦ヤマトを描いたり、ガンダムが流行ればガンダムを描いたりしていました。

 

周りの子からすれば、ほんの少し上手いな、という感じがしたかもしれませんが、ズバ抜けてということでは全くありませんでした。

 

また、小学生の頃はPCがあれば凄いことができそうという思いがあり、パソコンにも夢中になりました。

今はもうありませんが、近所にラオックスという電気屋さんがありました。

 

そこのPCコーナーへ行くと、近所の高校生くらいのお兄ちゃんたちが、カチャカチャとプログラムを組んでいました。

友達とそれを見て、なんだかそれが無性にかっこよく感じ、見よう見まねでやっていました。

お店が閉まるまで何時間かかけて書いたプログラムが、「もう閉店だよ〜終わり終わり!」と店員さんに、無情にもブチッと電源を切られて消えて終わる、みたいなことをしていました。

小学校5年生くらいの頃に、お父さんに泣きついてNECのPC8001を買ってもらいました。

メモリーが16KBでテキスト一個も入らないほどの容量でしたが、それで色んなものを作り、作る喜びみたいなものを感じていました。

 

トロンという映画を見て衝撃を受け、グラフィックやCGなどをやりたいな、とも思っていました。

pc8001

NEC PC8001=1979年にNECから発売されたPC。個人だけでなく、企業でも多く採用された。元アスキー社長西と、ビル・ゲイツが仕掛けたPCとしても知られている。

 

デザインとの出会い

高校は都立西高校のデザイン科でもなく、普通科に行きました。

SONYの製品が多かったと思いますが、ウォークマンなど、当時デザインみたいなことが段々と脚光を浴びてきていたのです。

 

今でも覚えていますが、全部小さくして綺麗にレイアウトされた文具セットのような、チームデミという文具がありました。

いま見ても非常に優れていると思うのですが、それを見て、自分の中で「デザイン」いう言葉を強く意識し始めました。

 

teamdemi

チームデミ=PLUS株式会社が発売したミニ文房具セット。はさみ、カッター、のり、メジャー、テープ、スケール、クリップケース、ホチキスがセットになっており、累計650万個の大ヒットを飛ばした。台湾製や香港製の類似品も数多く出現するほど、ミニ文房具業界に大きく影響を与えた。

 

高校2年生の頃にPOPEYEという雑誌でデザイン特集が組まれていました。

いわゆるプロダクトデザインみたいなことを特集していて、そこに千葉大学が載っていました。

 

初代のスカイラインやGT-Rのデザインをした元日産の森先生が腕を組まれていたりして、かっこよく写っていたのです。

誌面ではまた面白いことを仰っていて、「車を全部プラスチックで作れば、全部衝撃を吸収してサスペンションが要らなくなる」など色々書いてありました。

 

当時の知識のない高校生には十分に魅力のあるお話でした。

 

「こんな学校があるんだ」と知り、経済的に私立大学は無理と言われていたので、千葉大なら国立だしちょうどいいと思いました。

そこで初めて、いわゆるプロダクトデザイナーになりたい、という明確な目標ができました。

高校2年生の時です。千葉大学の意匠学科は実技試験もあるのですが、それよりも勉強ができなかったので、勉強をがんばりました。

 

ですので、あまり絵を描く練習は特にしておらず、学園祭でポスターを作ったり、大な立て看板を描いたり、とそういうことはしていました。

 

また、映画を撮っていたので、そのプロップ(小道具)を作ったりもしました。

題名などは忘れてしまいましたが、スターウォーズのパクリで、恋愛要素を追加したようなやつで、今思い出すと絶対恥ずかしいです。

スピーダーバイクというのがあるのですが、それをダンボールで作って、浮かせた瞬間を何枚も写真で撮り、それを繋げて、飛んでいるように見せたりしていました。

瞬間を何枚も写真で撮ってそれを繋げて、飛んでいるように見せたりとか。

また、時空が変わるようなシーンをCGで表現したりもしていました。

 

 

大学時代

なんとか千葉大学に入学することができましたが、千葉大は吉祥寺から2時間くらいかかります。ほぼ総武線の端から端までです。

(車掌さんは俺より長く乗っているしな〜)と思いながら、なんとか耐えていたところ、あるとき気づいたのです、車掌さんが途中で交替していることを。
 

そこから、3年生のころくらいだったと思いますが、家にも帰らなくなり、学校で寝泊まりをしていました。

 

1〜3年生の頃はまじめに授業を受けながら、課題をこなしていました。

当時お昼80名、夜学40名の120名くらいだったと思うのですが、そのうち20名くらいはカーデザイナー志望だったと思います。花形なので人気もありました。

 

クルマの授業ももちろんありましたが、とことん車の授業という感じではありませんでした。

 

まともにクルマを学べる授業は1つほどしかありませんでした。

 

4年生になると、研究室に入ればそういうのもありましたが、それ以外は無かったです。

ちゃんとレイアウトを勉強し、スケッチ描き、レンダリングを描き、クレイモデルを作って、という通しは一回くらいでした。

 

しかし、森先生がいらしたからだと思うのですが、日産から現役のプロの方が来てくれ、レンダリングを3、4回連続で教えていただいたこともありました。

リアルに現役の人に教わるということが、とても嬉しかったです。

 

このようにカーデザインの授業は少なかったのですが、材料工学の授業や人間工学など、建築のようなことやディスプレイデザインを学んだりもし、それが意外と面白く、今思うと役に立っています。

 

3年生の冬にTOYOTAの就職試験がありましたが、ちょうどバブルが弾ける前の年だったので、3週間くらいかけてありました。

何かテーマが出された後、企画をまとめ、プレゼンテーションをしました。

僕はすごくデカいけれど、一人乗り!みたいな車を提案し、タイヤも馬鹿デカくして、本当に「ザ・学生作品!」みたいな作品でした。

 

プレゼンで「こういうのって豊かだと思うんですよね」っていう話をすると、「なぜだ!沢山乗れるほうが豊かだろ!」など言われて、価値観の違いだな、と思ったのは覚えています。

 

何故内定がもらえたかですか?

 

これを言ってしまうと、今の子たちはがっかりしてしまうと思いますが、まず景気が良かったからだと思います。

 

受かる人数も非常に多く、60名受けて20名が受かっていました。

 

バブルが弾ける前の年だったので、本当に申し訳無いのですが、もし今の時代に受けていたら受かっていないかもしれません。

 

4年生になると、卒業研究はFRPで少し変な自転車を作りました。

そして結局、元日産の森先生のゼミには入りませんでした。

作りたいものが決まっていたので、材料工学を学ばないといけないことになり、青木先生のゼミに入り、本当にたくさんのことを教えていただきました。

 

ですので、千葉大ではカーデザインをがっちり学んだというよりは、森先生への憧れを残したまま、ものづくりをがっちり学んでいました。

 

サスペンションとステアリングを両方兼ね備えているようなシステムで、自分で特許も出願したりしました。

乗り心地は独特で、グニャングニャンしていて、たわみでステアし、ジャンプして飛べたりもするのです。

 

留め具の金具も一個一個自分で切り出し、溶接も全部自分でやり、徹夜ばかりしていました。

 

当時はシンプルな暮らしをしていました。

まかない付きの居酒屋さんで夕方5時から朝の3時まで働き、数時間寝てから学校へ行き、そのまま夕方の5時まで卒業研究作っていました。

 

毎日それの繰り返しでしたが、楽しかったです。

 

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PLATE STEERING BICYCLE BISON=車体を傾けると車軸方向に働く力によってそれぞれのプレートがたわみ、車軸が向きを変える。フレームは路面からのショックを吸収し、サスペンションとステアリングの役割を同時に果たすよう、FEM解析によって緻密に計算されている。

 

TOYOTA時代

あの頃はゆったりしていました。

バブルが弾けたタイミングだったと思うのですが、まず、社会人としての研修が1ヶ月くらいあり、挨拶の仕方や電話の対応の仕方や名刺の渡し方を学びました。

確か僕は電話の出方は満点だったと思います。

 

その後、3ヶ月間工場実習に入りました。実際に工場で働きます。僕はカローラの足回りでしたが、作業が遅れると段々と背中にマフラーが刺さってきました。

辛かったですが、とても勉強になりました。

 

そして3ヶ月半、ディーラー実習をします。地元エリアが担当になるのですが、スーツを着て、個人宅まわりインターホンを鳴らして名刺置いてくる、ということをしていました。

インターホンを鳴らすと友達のお母さん出てきたりして、まさに母校の都立西高校周辺をまわっていました。

暑い季節だったのを覚えていますが、それもとても勉強になりました。

 

そしてディーラー実習が終わると年末に配属が決まり、そこからようやくデザイン研修が始まりました。

 

先輩が教育担当になってくれ、最初はいわゆる千本ノック状態です。

学生時代にはカーデザインを学んで描いてきたワケではなかったので、とうとうこの時がきたな、と思いました。

 

ひたすら、直線のみをガーと描きます。

それまでボールペンを使いきったことなどありませんでしたが、千本ノックでは1日に2本無くなりました。

 

そこで初めてプロの厳しさを知ったので、今考えるととても甘いです。

ただの直線をひたすら描いて、楕円や曲線をひたすら描いていました。

 

先ほど見せてもらったカーデザインアカデミーのカリキュラムと似ていて、パースの取り方や、タイヤがどうやったらはまるかなどレンダリング描いたり、クレイやCADの実習があったり、色々でした。

それを4ヶ月間終えると、やっと正式配属になりました。

 

僕が最初に入ったのはエキスパートチームという部署で、名前は凄いのですが実際は、エキスパートの人達に付いて学べ、というようなところです。

最初は「俺だけ再教育?」と思ってしまいましたが、実は凄く面白い部署で、何をする部署かと言うと競作を作るのです。

 

でも凄い面白いですよ。何をする部署かって言うと競作を作るんです。

例えば、カローラ作ります、となった時にちゃんとした担当チームがいるのですが、そこに当て馬を作るのです。

 

また東京デザインやCALTYというカリフォルニアの拠点が競作を持ってきたり、ED2というヨーロッパの拠点だったり、時にはジウジアーロに頼んでみようか、など話が持ち上がったり、より面白さや過激さを求めるような役割でした。

つまりは社内のコンペチームで、とても面白かったです。

 

その後、シエナというアメリカのミニバンのチームに配属になり、そこで非常に良い上司の方に出会いました。

その方がやたら「お前留学しろ。お前は留学した方がいい」と言ってくるのです。

 

周りの人は誰も行きたがらず、僕は行きたいとも行きたくないとも言わなかったので、自然と僕が留学したい人みたいになっていまいました。

 

ついに「そんなに行きたいなら行けよ!」と言われました。

 

そういう場合、普通はカーデザインを学ぶためにRCA(Royal College of Art)や、デトロイトのCCS(College for Creative Studies) 、カリフォルニアのアート・センター(Art Center College of Design)などへ行くのですが、僕はCGを活用して色々やりたかったので、南カリフォルニア大学の映画・テレビ学部に行きたくて、強くその点を申し出ていました。

 

中々理解してもらえませんでしたが、僕に留学を勧めた上司が協力してくださり、今まで誰も行ったことが無かった大学なのですが、許可がおりました。

 

実際行ってみると、ソフトの使い方など1ミリも教えてくれませんでした。

どんどん変わっていくものなので、学生はそれぞれ独学なのです。

しっかり教えてくれるのは、例えばディズニーから先生が来て、キャラクターの動かし方などを教えてくれました。

 

なるほどなぁと思ったのが、「なんでも急には止まらない」っていう当たり前のことです。

例えば、ボールでも何でもいいのですが、投げたらその後、必ず手って慣性で動き続けるでしょう。

 

よりリアルに見せるための動きのアドバイスを教えてくれ、それは今でも役に立っています。

CGのアニメを見たりすると、ダメなやつはスグに分かります。

 

ただ、CGを学ぶということは、カーデザインに直接関係してこないところなので、逆に常に緊張をしていました。

要は1年間留学して作って帰った作品が、遊んで帰って来やがって、と思われるのではないかというプレッシャーです。

 

そのような感じで、一年間は半端なものなど作れない、という思いがとてもありながら勉強していました。

絵コンテを作り、音も全部自分で付けながら、CGでクルマのアニメーションを作って帰ってきました。

帰国してから会社で発表があり、皆に見てもらうととても褒めて頂けました。

「今までの留学の発表で一番面白かった!」という方もいらして、安堵しました。

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南カリフォルニア大学=通称USC。アメリカ西海岸最古の私立大学で、米業界紙が選ぶ「世界の映画学校ベスト25」で1位。ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグを始め、著名な監督を多数輩出している。

 

留学して帰ってきた後もCGアニメーションで色んなクルマのプレゼンテーション作ったりしていると、次にコンセプトカーを作る研究開発チームというところに配属になりました。

 

感情を表現し、時間が経つと成長していくという、クルマとしては考えられない特徴を持つコンセプトカーです。

 

「進路を譲って下さい」「ありがとう」のような会話がクルマ同士でできたり、オーナーの運転テクニックを評価してくれたりします。

 

今考えると、podという名前も先取りしていましたね。

 

その後、SCION(サイオン)の立ちあげをしたり、愛・地球博でi-unitをコンセプト開発チームのリーダーとして経験させてもらったりしました。

 

scion

SCION(サイオン)=トヨタ自動車が2003年からアメリカ合衆国(グアム、プエルトリコを含む)およびカナダで展開している自動車ブランド。クール&スタイリッシュを志向し、若年層をターゲットとしている。

 

i-unit

i-unit=「人間の拡張」というコンセプトに基づいており、車に乗る、というよりも“着る”という感覚で設計された未来型パーソナルモビリティー。2005年の愛・地球博で発表され、展示品の代表として数多くのメディアで取り上げられた。

 

人を巻き込む

 

-根津さんが出ていたTEDxSeedsの動画も拝見しましたが、上手に人を巻き込みながら、それぞれの力が最大限に発揮できるようにプロジェクトを進められておられますね。

 

そうですね、僕に騙された方々にはほんと申し訳ないですが、これが気持ちよく騙されたのか、「くっそー」となるかは、このプロジェクトが最後うまくいくかにかかっています。

 

関わった方々が、「これ、俺がやったんだ!」と誇らしげに言って頂けるか、「あ〜、本当失敗したわ」となってしまうかはこれからにかかっているので、そういう意味ではとても責任を感じています。

 

zecOOは先日ドバイの展示会に出展をし、それからビジネスの話も色々と進んでいます。

ドバイは色々とスケールが違うことが多いので、何が起こるか分からない面白さがあります。

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zecOO=日本のものづくり技術を惜しげも無く詰め込んだ電動バイク。2013年にドバイで行われた展示会にて、現地の大富豪が購入したことでも話題を集めた。GENERATIONS from EXILE TRIBEのPV( 開始10秒〜)にもzecOOは登場している。撮影では、監督やメンバーも写メを撮ったり、運転してみたりと大興奮だったという。

 

 

今後について

いずれにしてもzecOOは、僕らのチームのイメージ的にも技術を集約するという意味でも、フラッグシップです。これからはバイクに限らず、ファブレスの自動車メーカーになりたいと思っています。

 

やはり世の中への色々な乗り物の提案の仕方があっていいと思っていますので。

そこに力を入れていきたいと思っています。

 

今のクルマよりも昔のクルマの方が良いっていう話も良く聞きますが、ただ単に球数が減って珍しいから昔の車が良い、というノスタルジーではないかと思うのです。
 

昔のクルマは、キャラが濃いです。

 

最近のクルマのディティールなど本当にとても綺麗だなと思いますし、「この面はモデリングするのが嫌だなー」というくらい造形物としての美しさがあり、大好きです。

その一方で、線の太いキャラクターというのでしょうか。

 

初期のミニやビートル、もっと言うと軍用車など、アイコンレベルでハッとさせるキャラクターの強さが昔のクルマにはあるような気がするのです。

子供にも分かり、子供が描けるような。そういうキャラクターの強さはフラットに見て、昔の車の方がどうしてもあるな、と感じます。

 

僕も自動車メーカーに長く務めていたので、今の車はどうしてそうならないか、という点はもちろん理解しているつもりです。

例えば空力の性能を上げなければなりません。

安全性能大事だよね、外側は小さく中は大きくしたいよね、など。

合理的に考えていった場合に、当然答えは近しいところにくるのです。それは正義であり僕も認めています。

 

けれど、「そうじゃないものがあってもいいじゃん」とも思うのです。

 

2012年にトヨタ自動車と共同開発したCamatte(カマッテ)は常識に逆らいながら、ある種ゲリラ的に作ってみたところ、「いいじゃん」と言ってくれる人が大勢いました。

 

やはり人の気持ちというのは合理性だけではなく、愛せる感じだったり、ワクワクだったり、ちょっと違うんだぜ、という感じだったり、そういうことでも動かされるのだと思います。

 

そこを担うような、面白いクルマや乗り物を生み出していくファブレスのメーカーになれれば、と思っています。

camatte

Camatte(カマッテ)57s=子供でもイジったり運転でき、「親子で楽しめる」という、超小型モビリティとしてはかなり特殊なコンセプトを持つTOYOTAのコンセプトカー。着せ替えパネルが57枚あり、自由に簡単にカスタマイズすることが出来る。

参考 https://openers.jp/car/car_news/18160

 

—個人的には多少燃費や性能が悪くても、最悪故障してもいいので、リーズナブルで楽しいクルマがもっと出てきて欲しいと思うのですが。

 

方法は色々あると思っています。小さく始めていって、どんどん良くしていくなど。

故障してもいい、って言っていましたが、僕が乗っていたクルマはほんとにそういう感じでしたよ。

 

そういう良い関係で、お客様と育てあっていける、というやり方もあっていいと思うのです。そういうことをやりたいと思います。

 

カーデザイナーを目指す方々へ

今日もそうなのですが、電話でインタビューという方法もあるではないですか。

けれど、今日お越しいただいて、同じ空間をシェアしてお話するということは、電話でサッと済ますのとだいぶ違うと思うのです。

 

実際に会い、実際に何処かに行き、そのことの価値は当分無くならないと思うのです。

最低でも向こう100年くらいは無くならないだろうなと思っています。

 

そうしたときに、実際に移動して誰かに会う、どこかに行くようなことを実現するのがモビリティーというものの根源的な意味だと思うのです。

自動車だけではなく、電車でも何でも良いのですが。

 

その中で、特に自動車というのはパーソナルなもので、自分を代弁してくれる面もあったり、相棒のようであったり、洋服のようであったり、そんな様々なアスペクトを持つプロダクトは中々少ないと感じます。

 

カーデザイナーを志している方は、そこに意識的になって欲しいと願います。

「なんで僕クルマが好きなんだろう?」と問い、答えはカタチがカッコイイから、でもいいと思うので。

 

あんなに大きいもので、自由に造形をして、みんなに見せびらかしながら走れるなど、そんなディスプレイはなかなかありません。

 

クルマが持っている色んな要素の、どこに自分は魅力を感じていて、どこを意識して伸ばしていくのかを深く考えてみてください。

移動体としての根本的な価値をもちろん意識しながら、自分の夢をどう乗せて膨らましていくかということも同時に考えていく、そう自分の視点です。

 

 

人それぞれ違っていて、もちろん良いと思います。

 

スケッチを描くことは、ただの絵の練習かもしれませんが、そこで1台生み出していることに変わりはないので、どうせ生み出すのであれば願いを込めた1台を生み出すほうがいいと思います。

 

絵をトレーニングしながら、このクルマのストーリーや自分の想いを同時に練りこむ、このようなことを考えながら是非やってみて欲しいです。

 

そうすることで、薄っぺらいクルマではなく、こっちが見てハッピーになれる、オッと思わすことが出来るクルマが作れるのではないかと思うわけです。

是非やってみて欲しいです。

 

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Photo by Masaya Murata

 

編集後記

独立されてからも、乗り物に限らず様々なプロダクトを生み出し続けている根津さん。

お話をお聞きしているだけで、こちらもワクワクとした気持ちにさせてくれるパワーをお持ちの方でした。

 

zecOOを含め、今までに無い新しい価値を提供するその姿勢は、カーデザインアカデミーも見習わなければと強く感じました。

 

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